山陰海岸ジオパーク 岩美キッズトライアスロン 全国大会

保護者の方へ

保護者の方へ

応援席から学ぶこと 

子供達の姿から学ぶべきは我々大人なのではないでしょうか。
昨今子供のスポーツ大会を観戦する保護者の姿が多く見られようになりました。子供が一生懸命がんばっている姿に熱い声援を送り、親子が同じ話題で話が出来ることは素晴らしいことなのですが、一見理想の姿に見える最近のスポーツシーンに少し気になることあります。その一つは試合の観戦に来られるんはいいのですが、我が子への思い入れの強さの裏返しなのでしょう、結果が出せないときは時として「何やってるの!」「ダメじゃないの!」家に帰ってからも同じような内容の話をする保護者の方が多く見受けられます。ジュニアのトライアスロンレースの時も「何やってるの!頑張りなさい!」という怒りとも励ましともつかない言葉をかけている保護者を多く見かけます。子供と自分自身が同一化しているのでしょう。


私も子供を持つ親としてその気持ちは良く理解できます。然し子供にとってはどうなのでしょう、親として励ましとして贈ったつもりの言葉が意に反して子供の心を傷つけているとしたら・・・。元来子供は手を抜くということはしません、と言うかぬきかたを知らないといった方が適切かもしれません。その時がすべてなのです。特に自分の好きなことには、絶対と言って良いほど手は抜きません。「トライアスロンって、あんなに苦しいことよくやれますね」とよく言われますが、実はわれわれ大人は「後何キロで給水所があるから、そこで休憩しよう」とか「来週は仕事が忙しいから無理するのは止めておこう」「やっぱり練習不足ではどうしようもないや。」など色んな事を考えながらレースをしていますから精神的にはまだ余裕があります。然し、子供の場合は全く違います。レース中の子供の顔を見ればわかります。「昨日は寝不足だったから無理はよそう」なんて思う子供はまずいません。スタートピストルが鳴ったらゴール目指して一生懸命走り続けるのです。これは他の種目も同様です。個々の持つ能力の違いがありますから、速い遅い、上図下手はあります。然し彼等にとってその時の最高のパフォーマンスを出しているつもりなのです。一生懸命やったつもりなのに一番認めてもらいたい人に「ダメじゃないの!」と言われたら楽しいわけがない。評価されず傷ついた幼い心にはトラウマだけが残るのではないでしょうか。私はジュニア対象のレースやセミナーでお話をする時には「子供は絶対手を抜いたりはしません。結果に関わらず、まずよく頑張ったねと言ってください。注文を出すのはその後にしてください。」と保護者の皆さんにお願いしています。 子供へ感情移入することで、本人と同化してしまう。成績の善し悪しが、評価の基準になってしまう。彼らが誰のために競技をしているのかを冷静に考えてみてください。「自分が楽しいから」が基本なのです。私たちの子供の頃は親は怖かった。然し今は子供と親の距離が少なくなった分、親が子供の世界へ簡単に入り込んでしまっているような気がしてならないのです。このことにより子供の自主性も阻害されまから、そのモチベーションは決して高くなるはずはありません。いつも最高のパフォーマンスを出すのは難しいし、またその時期の身体能力の差もあり競技ですから勝敗、順位がついてきますが弱いよりは強う方がいいし遅いより早いほうがいいのは当然です。しかし、それだけが評価基準ではないはずです。能力の違いは優劣ではなく個性の違いです。運動能力が高い選手が活躍すること、能力は高くはなくとも一生懸命努力できる選手どちらも素晴らしい個性ある選手なのです。一番重要なのは子供たちがどれだけ目標に向かって真剣に取り組めているかです。頭の中ではよく分かっていても自分のこととなるとなかなかそうはいかないのも事実なのですが。

私はスポーツは「遊び」の延長であると思います。「遊び」は楽しくないと出来ません。
そして子供たちはこの素晴らしい「遊び」であるスポーツに「一生懸命」「楽しく」接することで非常に多くのものを学ぶことが出来ます。チームでのコミュニケーションは社会活動の基盤になるでしょうし、何より目標に向かって積み上げて行くことの重要さを知ることは生きていくことの基本となります。そして、その環境を作ってやるという重要な任務を背負っているのが私たち大人なのです。
「スポーツを通して子供の健全な成長を図る」競技大会の趣旨には必ずと言って良いほど使われるフレーズです。子供たちがスポーツを通じて多くのことを学んでいくように私たち大人も応援席から多くのことを学ばなければならないのではないでしょうか。